こんにちは、Yumiです。


先日、四月の「お朔日の語り」を執り行いました。


お越し頂いた方々、有難う御座いました🍀


この御縁に感謝しております✨


五月も開催を予定しております。


皆様のお越しをお待ちしております。


今回のブログはお朔日で語られた「身の清め方」についてを掲載いたします。


皆様も是非実践してみて下さい!




青不動様のお言葉


今日この様な場所に出てくるのは、少しばかり気恥ずかしいのう。


何故ならば、我の姿皆知り得ておろうや。青き色に塗られたその顔、なんと厳しい事よ。


しかしながら、本当の我の姿はこの様にと明るいものや。皆、その心に抱く思いは恐れやろうな。


だから少しの気はずかしさはあるけれども、今日ここに出たいと願ったのもこれまた我の心よ。


どうぞ楽に楽にと聞き届けて下されよ。


何も難しいことは申しませぬ故、その肉体持ちたるその身よ、


その身の清め方を今授けたいと願って、お言葉申し上げまする。


まずはと、己の体、なんやようわからんが苦しい。喉が詰まったような。息がしづらいような。


そして腹の調子も整わぬような。そのような時は、浄化。


浄化の意味もありますが、しかしながら、まずは水周りを確認されよ。


水回りこれ龍神の通り道故、そこが詰まって淀んでおると、


そなたら、清き御霊様であられるな。


喉、息遣い、その苦しさにより知らしておること、ありがたきこと。


水回り清めておれば、なんと息のしやすいことよ。沢山空気を吸い込んで、


そして、いい気を吐くこと叶いますゆえ、まずはとこの場に集いしお方ら、


その息苦しいことよ、息を吸い吐き出す時に、声小さくなっておりまする。


夜、寝てる時もなんや息苦しい、その息苦しさ、水回りの浄化にて叶いまする。


毎日せっせと磨きなされとは言うておりませぬぞ。そなたらのできる範囲でよろしい。


「汚れておるな、澱んでおるな」とはその目、そのおつむにちゃんと神々が知らしておること。


ならば、その時の心もち素直な事よの。これを聞き届けておれば、


気が付いた時にはせっせと浄化すれば叶いまする。


その際にとおつむによぎりしその思い、例えるであれば塩、そしてお酒。


その様なものを撒きたいと思いしその時は、その心の声に素直に。


神々は素直で謙虚な人が好き。素直なその思いにてまた感情の出し方も素直なものであられよ。


喜ぶ時は思いっきり喜び、悲しい時は思いっきり悲しむ。これ神々の羨ましいところよ。


感情持ちたるは人であるからこそ。人であるなら、今世望みしその生受けたる肉体。


ならば抱きしその思いも彩りになります故、一時その思いに塞ぎ込むのも結構。


また、それを楽しむのも結構な事。存分にその思い、感情、楽しまれよ。


次は足の裏。


これ「気」の出口にありまする。神仏、高次元、また気と言うのはおつむの上また、その額から入りまする。


そして、全身をめぐりて足の裏から出まする故。


体の禊叶いますお風呂。その際には足の裏、綺麗に綺麗になされよ。


そして、体調優れぬその折は、足の裏より念入りに洗いて、上がりしおりに、桶にいっぱいの水、


冷たき水をすくいて、そっとかけられよ。さすれば悪い気は逃げていきます故。


己の身は己で守る。その体調整えるのも役目よ。


ならばと、良い気を取り込んで足の裏から出られしその折は、冷たき水をかけなす事。


そして、それでもと思いし時は、ひとつまみの塩、パラリと撒きて、


冷たき水をサーっとかけられれば、その身の清め叶いまする。


鏡。鏡は心の鏡にございまする。姿形を写す鏡。それが曇っておらぬかと。


気付いたおりにはその汚れ拭き取りて。


決して神棚に供えしご神鏡だけにありませぬ。


自分の身を写しその鏡。曇っておっては心の鏡も曇っておると言うもの。


ならばと、ハーッと息吹きかけ、乾いた布にてその汚れ取り去る事。


心の鏡の磨きに相成りまする。


授けたきはこの三つよ。


この三つは大前提。


水回りが淀んでおったら息苦しい。


体の淀みは足の裏からしっかりと流し去り。


心の曇はその鏡が曇っておらぬかと。


常に軸を一本にするための己の精査にございまする。


どうぞ皆様、今日これを聞き得たのであれば、関わりしお方にもお伝えする事、願いまする。

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